クラシコ「2021/10/24」

守るべきクラシコの伝統とは何なのか。倒さないといけないマドリードという巨人。何のために?ブラウグラナの意味を感じられる瞬間。

バルセロナの選手になった時に背負わされる物。概要は分かる。カンテラでも、生まれ育ってきた街で染み込まれるであろう感覚。しかし、今の選手はそこまで陶酔出来るだろうか?戦う意味をモチベーションに出来るだろうか?過去に例をあげられない成績に甘んじているチーム状況で、その崇高な闘いに身を置く立ち位置を理解できるのか?目の前のことで必死、自分たちの存在を確認することさえもあるかもしれない現状。

でも、クラシコを観てびっくりした。絶対に勝ちたいって見てる誰もが思うハードワーク。本来、相手の選手を走らせ、後半バテた獲物を捕獲するバルセロナの選手が後半バテて走れなくなってる。何のためにそこまで走り回るのか?何度も何度もハイプレスを繰り返し、バイタルエリアでパスを回し、全力で自陣に戻る。

実力が離れているチームがここだけにかけてやるだろう姿。

あきらかにテクニックでは補えないプレッシャーを与えられるガビ。いつものリズムを作れないファティ。当たり前のシュートをフカすデスト。

その姿を見て、何とかしてやりたいと思ってるピケ、ブスケツ、アルバ。

外から来て、外様なのに誰よりも勝ちに飢えているメンフィス。

でも勝てない。その力さえも受け流してしまうマドリーの伝統。想定内だと思ってるのではないかと思わせるモドリッチの落ち着き、いつも通りが大舞台でできるベンゼマの地味なプレー。流石マドリーと思わされるアラバやヴィニシウスやロドリゴの身体能力の高さ、堅実さを100%引き出せるアンチェロッティ

彼らは何故あそこまで全力で走り回ったのか。何故、マドリーには死んでも勝ちたいという精神が宿っていたのか。何度も何度も闘ってクラシコ魂が産まれるのかと思っていた。クラシコに来る選手は、クラシコに来る前から、クラシコを闘う魂を持ち合わせて来るのかもしれない。あの若者たちのモチベーションはどこで生まれたんだろう?

このクラシコは過去と未来の中間地点で、この先の英雄なき時代へのかすむことない光を感じた。

この喧嘩がある限り、サッカーはずーっと面白いもんなんだな、と思う。